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美空ひばり没後30年を偲ぶ①
昭和の歌姫・美空ひばり 横浜の舞台から大スターへの軌跡
- 年表
- 2019年6月15日 神奈川新聞掲載
昭和を代表する歌手、美空ひばりさんが亡くなってから24日で30年。横浜で生まれ育ち、横浜の舞台から大スターへの階段を駆け上った歌姫の軌跡を振り返ります。(1/4)

1937年 5月29日、横浜市磯子区滝頭で魚屋「魚増」を営む加藤増吉・喜美枝の長女として生まれる
1944年 滝頭国民学校に入学
1945年 終戦後、復員した父・増吉が地元の青年を集めアマチュアバンド「青空楽団」(ミソラ楽団、美空楽団)を結成
1946年 母・喜美枝に連れられ楽団とともに杉田劇場やアテネ劇場、大見劇場、銀星座、横浜復興会館などに出演。「美空(ミソラ)一枝」や「美空和枝」の名で歌声を披露するようになる

1948年 中区宮川町にあった横浜国際劇場(47年5月5日開場)で公演された東京の軽演劇劇団「新風ショウ」にベビー・シンガー、美空ヒバリの肩書で出演。同じ年のグランド・ショウ「女ターザンと黄金仮面」で芸名を「美空ひばり」と改め、本格的なデビューを果たす
1949年 「河童ブギウギ」でレコードデビュー。映画「悲しき口笛」で初主演、同名主題歌が大ヒット。磯子区丸山町に転居
1950年 滝頭小学校卒業、精華学園女子中学校(東京)に入学
1953年 精華学園女子中学校卒業、同学園高校に入学。磯子区間坂に「ひばり御殿」新築
1956年 精華学園女子高校卒業
1957年 中区若葉町に「美之寿司」(1階)「かつひばり」(2階)開店
1962年 小林旭と結婚
1963年 父・増吉死去。東京・上野毛(かみのげ)の新居に移転
1964年 小林旭と正式離婚
1973年 東京・目黒区青葉台に新居完成(2014年、「美空ひばり記念館」に生まれ変わる)
1981年 母・喜美枝死去

1988年 神奈川県民ホールでコンサート
1989年 3月、横浜アリーナのこけら落とし公演(4月17日)の中止を発表。6月24日、52歳で死去。女性初の国民栄誉賞を受賞
1993年 横浜国際劇場の跡地近くに「美空ひばり記念像」建立
2005年 幼少期に出演した「杉田劇場」の名を冠した区民文化センターが横浜市磯子区に開館
2009年 没後20年に合わせ同区内に「美空ひばり生誕地記念碑」が「美空ひばりさんを愛する横浜市民の会」によって建てられた
(監修・小柴俊雄)

美之(みゆき)寿司

ひょうきんな一面もあった 板前だった鶴田さんが語る思い
横浜市中区若葉町にあった「美之(みゆき)寿司」で板前として働いていた、横浜本牧観光協会会長の鶴田理一郎さん(81)は、「美空ひばりさんを愛する横浜市民の会」会長も務める。「大船の撮影所での撮影終了後、タクシーに乗って、ちょんまげ姿のままで店に顔を出すなど、ひょうきんなところのあるお嬢さんでした。われわれ世代は、ひばりさんの歌とともに昭和の時代を生き抜いてきたという思いを、今でも強く持っています」
美空ひばり記念像

【松葉寿し】専属歌手としての記念に
「美空ひばり記念像」があることで知られる野毛の「松葉寿し」。銅像は横浜国際劇場の専属歌手として活躍していたことを記念して建てられた。「日本中からひばりファンが訪れます」と店主の石川善次郎さん(81)。ひばりさんの思い出として作った「ひばり御前」(3240円)が人気だという。
松葉寿し
住所 | 横浜市中区宮川町2の55 |
---|---|
アクセス | 京急線日ノ出町駅徒歩2分
|
電話 | 045(231)3727 |
営業時間 | 午前11時半~午後2時、同5時~10時半(土日は午前11時半~午後9時) |
定休日 | 水曜 |
[おことわり]この情報は新聞掲載日時点での情報です。掲載日以降、内容に変更が生じる場合がありますのでご了承ください。
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