気になる コロボックルと歩んだ軌跡 神奈川近代文学館、佐藤さとる展(下)
- 2021年8月30日 神奈川新聞掲載

「鬼門山」は「コロボックル物語」シリーズの舞台の小山の名。情景は横須賀の按針塚周辺から写したが、名は1983年に海軍軍人の父・完一が現在の横浜市戸塚区に新築した家のある小山から採った。
庭木の世話が好きだった完一は、新居にたくさんの樹木を植えた。ご遺族によると、完一が子どもたちの誕生記念に植樹した木が今も残っているという。「ヒイラギノヒコ」などコロボックルたちに木々の名を付けたのは、家族との幸福な時代の思い出をひそかにしのばせたかのように思える。
40年、佐藤が旧制横浜第三中学校(現・県立横浜緑ケ丘高等学校)入学以降は戦時と重なり、つらい時代が始まる。同年、姉妹が相次いで病死。翌年太平洋戦争が始まると、学業は二の次で軍事教練や勤労動員に追われた。42年には、完一がミッドウェー海戦で戦死。中学卒業後には、収入が得られる海軍水路部に進むが、結核の罹患(りかん)が判明、即日帰郷となる。

自宅療養中の45年5月29日に鬼門山から目撃したのがB29爆撃機の大編隊だった。横浜方面に巨大な黒煙が立ち上り空襲の激しさを知った。辛くも被災を免れた一家は縁者の多い北海道・旭川に疎開。家計を助けようと進駐軍でアルバイトをしていた敗戦後の冬に、日本の妖精の物語を描こうと決意する。
翌年、鬼門山の自宅に戻った佐藤は、戦後の復興需要を見込んで関東学院工業専門学校建築科で学びながら、飢えをしのぐために手当たり次第にアルバイトに励んだ。食うや食わずの日々でも、佐藤は自分自身を見失うことなく修行を積む。習作を重ねて雑誌へ投稿、また文章の上達を目指し先輩作家・平塚武二、後藤楢根の門をたたいた。

こうした歳月を経て、59年、「コロボックル物語」シリーズ第1作「だれも知らない小さな国」が鬼門山から世に送り出された。
佐藤は最晩年、戦中戦後をがむしゃらに生きながら、創作への情熱を絶やさなかった鬼門山での若き日々を自伝小説の形で書き残した。その行間には、自由を束縛し命を奪う戦争の不条理を、次世代に伝えようとする気持ちがにじみ出ている。(神奈川近代文学館展示課・半田 典子)
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企画展「佐藤さとる展─『コロボックル物語』とともに─」は9月26日まで、神奈川近代文学館(横浜市中区)で開催中。事前予約制で一般500円ほか。祝日を除く月曜休館。問い合わせは同館、電話045(622)6666。
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