推し
タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(1)
平野愛子◆港が見える丘
- 2021年1月31日 神奈川新聞掲載
きらめく名曲たちの「核」
皆さまこんにちは、タブレット純と申します。誰? 電子機器? とお思いの方も多いと思うのですが、ひとまずよしなに。わが郷里、愛する神奈川県のことをしたためられる場を与えて下さった喜びを胸に、今、都内は沼袋から列車を乗り継ぎ、ハマのはるかなる海流を目指す日曜の朝におります。

僕は山奥の湖底から湧き出(い)でた?津久井っ子でありまして、やはり横浜は子どもの頃から憧れの街。父の赤いおんぼろサニーから見た横文字がめくるめく絵本のような街並みに「ここは外国なの?」とうっとり唱えていた5歳の夏が思い出されます。
夏…そういえばカークーラーもなくてじっとりシャツをはためかす潮風だけが頼りの車内から、天井のプロペラが申し訳程度そよぐ中華料理店も、母の膝小僧で小さな戦いのような汗ラーメンだった記憶が。戦いといえば店のテレビからは甲子園で横浜高・愛甲猛さんの熱投が滴る汗を昇華させていました。
そんな思い出をくゆらせながら訪れたのは流行歌を冠した高台の素晴らしい公園。その由来となった「港が見える丘」は1947(昭和22)年、〝濡れたビードロ〟と歌われた平野愛子さんの喉仏が壊れそうにうち震える名曲ですが、この曲は笑芸界でいえば(ちなみに自分は芸人のハシクレであります~)大師匠といえるきらびやかな分子たちの核ともなりました。
この地にたたずみながら、♪街の明かりがとても綺麗(きれい)ね…と心に舞い降りたのが橋本淳先生。言わずもがなの「ブルーライトヨコハマ」ですが、当時は遠く工場地帯の明かりだけがぽつぽつ潤むだけだったという夜景に、その年にブルーコメッツと旅した宝石のようなカンヌ空港の滑走路をシンクロ。先頃亡くなられた筒美京平先生の和洋折衷工房によって、横浜から日本中に見事な天体を描きました。
はたまた宮川泰先生はその旋律を下敷きに「手編みの靴下」というほっこり作品を紡ぎザ・ピーナッツにささげます。この靴下は、世間的には“かなわぬ恋”に終わってしまったのですが、この美しき小品は同じ岩谷時子さんの詞によって艶っぽく編み直され、♪逢いたいひとはあなただけ わかっているのに…とちょっぴりランジェリー色に。「逢いたくて逢いたくて」は横浜出身の少女歌手・園まりさんのさなぎからチョウとなる神秘に大輪を添えました。
かように新たな才能に薫風を残した作曲家にして作詞も手掛けた天才、東辰三さんは残念ながら50歳で早世、しかしそのはかない蚕糸は実のご子息によって継がれ百花繚乱(ひゃっかりょうらん)。「瀬戸の花嫁」「翼をください」など不朽の名作を世に放った山上路夫先生は父のこの作品についてこのように述懐されています。「どこが歌の舞台なのかわかりません。(出身である)神戸と横浜、二つの港町のイメージをダブらせてつくったのではないでしょうか」。どこであろうと港は港。心にドラの音が響けばそれでいい。

歌手だか芸人だか人間だかよく分からない僕も、この紙上で皆さまのちいさな港になれたなら! と願いつつ夕暮れ石川
町の銭湯上がり、コの字カウンターの港で二級酒をすすりながら鉛筆を置くのでありました。
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