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バンバン◆縁切寺
- 2021年9月12日 神奈川新聞掲載

北鎌倉舞台の悲しい一人旅
近所の沼袋のお寺に、さだまさし? 田舎のお祭りに“美空ひはり来たる!”みたいなやつかと思わず濁点を確認してしまいましたが、本物でありました。毎年7月の最終週の日曜日になると「献灯会」がこの百観音明治寺で執り行われ、そこで美声を響かせているさださん。こちらの同年配の和尚さんと懇意にされていた縁で、早くして亡くなられてしまったその尊い魂をしのび、毎年時間を作ってはここに足を運んでおられるのだそう。
さださんの持ち曲にもある“多情仏心”なお人柄がうかがえますが、今回取り上げる曲は「縁切寺」(1976年・昭和51年)。「『精霊流し』『無縁坂』ときて『縁切寺』ときたら、あとは墓場しかないでしょう」とフォークデュオ・グレープ解散への、大学時代は落研だったさださんの皮肉なオチになってしまった楽曲ですが、アルバム曲でありながらファンにとっては重要曲となった名作です。
さださんの場合、“名曲”よりも“名作”といいたくなるのは、やはりその溢(あふ)れる文学性ゆえか。そしてこの曲はグレープ解散後、縁あってバンバンによりシングル化されヒット、さらに人口に膾炙(かいしゃ)しました。あ、バンバンもこの頃には男性デュオの形になっていたので、そんなシンパシーもあったのでしょうか。しかしこの曲の中の二人は男女であり、悲恋。正確には、振られてしまった男性が、恋人の未練を絶ちきるための悲しい一人旅がつづられています。
そして舞台は通称「縁切寺」こと北鎌倉は東慶寺。現在は男僧の寺院ながら明治末期までは本山を持たない独立した尼寺だったとのこと。すなわち縁切りには、女性から離縁できなかった時代の“女人救済”という大義名分がありました。駆け込んできた女性と尼さんが夜な夜な呪わしい供文を男の胸元へ響かせていたとしたら何ともオソロシイ…。

しかしこの歌で紡がれるのは、あくまで気弱な青年のはかない恋慕であり、“一枚きりの一緒の写真”を納めにきたものの、“あじさいまでは まだ間があるから”とこっそり彼女の名前を呟(つぶや)いたりもしてしまう。東慶寺の階段沿いに咲き誇る花々を二人でめでた思い出があるのでしょうか。最後に“あれから三年”と締めくくられるのですが、それは三年経(た)つと離縁がかなえられるとこの寺に伝わっているからであると思われ、つまりこの男性からしたら“滑り込みセ~フ、未練OK”みたいなことでしょうか。なんとも情けない! 僕みたい。
ちなみにこの物語の中で、女性が縁切りのために呪わしい儀式を始める山崎ハコさん調のシーンなどは当然描かれていません。むしろ、山門前で“お願いここだけはよして あなたとの糸がもし切れたなら生きてゆけない”と泣きだしてしまう彼女の残像が。別れるなんてつゆほどもありえなかったのだ。あぁ、やっぱり女性はオソロシイ…。

かように、“さだは軟弱”みたいな作品にもなってしまったのですが、最後にグレープ結成秘話を。肝炎で大学を中退、地元の長崎で静養していたさださんのもとへ、会社を無断退職し失踪状態で吉田政美さんがふらふら尋ねて来ました。相方を叱責(しっせき)して東京に返すつもりが、出てきた言葉は「おい! よく来たなぁ」軟弱は言い換えれば骨太であり、その上で情に脆(もろ)いのであります。そして粋。後年、再結成したグレープは“レーズン”になったとさ。
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