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タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(11)
内山田洋とクールファイブ◆港の別れ唄

雨に濡れた2人の思い出
♪雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花… いきなり本題でない歌からで恐縮なのですが、これは橋幸夫さんの美声で知られる「雨の中の二人」(1966年・昭和41年)。小学6年の時、とある番組にゲストとして出られていた前川清さんが“思い出の歌”としてこの曲を挙げられ、以後ぼくの干からびた人生の口の端にも潤うことに。歌われる時の“ぬかるみ”な形相からはちょっと意外だった“珠玉”の選曲から、コメディリリーフとしても活躍される前川さんの明朗な本質がうかがえました。
しかしクールファイブの世界観はあくまで、行けど切ない石畳…。デビュー曲「長崎は今日も雨だった」でいきなり故郷から日本中へ濛雨(もうう)を広げたその歌声は、昭和46年、横浜の桟橋の欄干にも男泣きの雨を滴らせます。♪雨にうたれながらも じっと見つめた目と目 あんな幸せだった恋も 嘘になるのか…
「雨の中の二人」を愛した前川青年は、対極の場面のようなこの「港の別れ唄」をどんな気持ちで歌われたのでしょうか。しかもこの年、前川さんは幸せの絶頂。そう、藤圭子さんとご結婚されたばかりの新婚ほやほやだったのですが、この歌に導かれるように暗雲がたちこめます。

暮れの紅白歌合戦を同曲で締めくくるはずだった前川さんはご病気により出演辞退に。しかしながらつかの間の青空といえたのは、まさかの代演によって異例の特別枠が設けられ、出場にはカウントされない形で「藤圭子&クールファイブ」が実現! 新妻からまさかの大輪が添えられました。病床の前川さんの恋に火照ったお顔が思い浮かぶよう。
翌年に吹き荒れたお2人の“つらい現実”はこのさいノーサイド、お2人が刻んだ3分の感動は真実としてこの世から消えません。藤さんから前川さんへの敬慕の念はそれぞれに家庭を持たれたずっと後、沢木耕太郎さんとの対話で語り下ろされた「流星ひとつ」でも随所にうかがえ、その人柄をたたえた上で、なんでも悩みを受け入れてくれる、兄妹のような関係であったと要約されます。そして同業者として、あんなに歌のうまい人はいないとも…。

当の前川さんは、近年のインタビューでも「ぼくは一度も、自分の歌が人のためになると思ったことがない」とか「みんなオレの歌を聴いてくれ! とか一切ない。ただ、与えられたものを淡々と歌うだけ」などと語られているのですが、この雨を吸う土のような自然さ。そこにそっと草を芽吹かせる謙虚さこそが、この世の悲しみを昇華させる前川節に違いない。
マヒナスターズのリーダー和田弘さんに、後輩のグループで認めるボーカリストを尋ねたことがあったのですが、迷わず前川さんの名前を挙げておられました。ムード歌謡史において、流麗かつ正統なボーカルスタイルを崩してしまったと言えなくもない前川さんのアーバンな歌声、その芯にあるはかなさ、繊細さを和田さんはきっちり見抜いていたのかなぁ。
コロナ禍から少し晴れてきた今、「歌えることがうれしくて仕方ない」という前川さんは、翌日のためにセーブしようとは考えず、たとえその日の歌声に支障が出ようとも「昨日のお客さまはラッキーでしたが、今日はご愁傷さま」と笑わせるのだそう。水は器にしたがうものだ。陽気な雨に乾杯!
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