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タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(13)
三鷹淳とチャッピーズ◆「行くぞ大洋」

球団のルーツ宿す熱い応援歌
芸人でありながら、キャッチフレーズは“生きながら死んでいる男”。こんなぼくなのですが、今までの人生で最も興奮した出来事は? と聞かれたら、ぼくは「初めて野球場に行った時のこと」と答えるかもしれません。小学6年の時、家族と関内駅から横浜スタジアムへと向かう夏の夕焼けの道のりは、いまもこの胸に沸々とたぎります。柄にもなく「何やってんの! 早く!」などと振り返っては両親、兄たちに叫んでいたような記憶も。あー恥ずかしい。しかし、ここで披歴しなくてはなりません。ぼくは、阪神ファンでした。すみません…。
ゆえにカードは大洋─阪神戦だったわけですが、けしてフォローの意味合いではなく、阪神の次に好きな球団は、大洋だった気がします。阪神とて、もともとは衰退期における判官びいきから惹(ひ)かれていった記憶があり、大洋もしかり。申し訳ないけれど、白星配給係な優しい潮吹きくじらさんに哀愁を感じていました。
テレビのダイヤルをガチャガチャと“U”(UHF局の略)の奥座敷へと合わせる夕暮れに、やたらこだましていたのが♪ 行くぞ、大洋、行くぞ、大洋…のむなしく吠(ほ)え~るホエールズ応援歌でありました。そう、テレビ神奈川さんは、試合開始前の練習風景から野球中継をしていたっけ。

さて、ここに掲げしジャケットで目を引くのは、この南洋の昆虫のようなユニホーム。この色彩は“湘南電車”をモチーフとしていたことをこの度知りました。品川駅の横浜方面行き東海道線ホーム、列車を見ながら卓上の具をさらっていそいそすする常盤軒名物「お好みそば」が懐かしい…。
もとい、(あ、大洋にモトイさんって内野手いましたね~)「行くぞ大洋」(1977年・昭和52年)は77年のシーズン前に球団初めての公式応援歌として制作され、このデザインはそのシーズン限り。つまり川崎球場を本拠地とした最終年に制作されたレコードなのです。残念ながらこの年は2年連続の最下位にチームは沈んでしまいました。しかしそんな混迷期にあえて応援歌をつくって士気を上げようという心意気がなんともすてき。
歌を主導し作曲もした三鷹淳さんは山口県宇部市出身の方でありますので、下関市営球場を本拠地とした「まるは球団」、その初心の血潮を心に宿した方ゆえの起用であったのかもしれません。
翌年には新設の横浜スタジアムを本拠地に「横浜大洋ホエールズ」となって、ジャケット左上にほほ笑む別当監督2年目にして前半には優勝戦線にも名乗りを上げ、観客数も球団初の100万人突破という飛躍を遂げました。

ぼくが大洋の紺一色のビジターユニホームから思い出されるのが、先日亡くなられた古葉竹識監督の“半顔”。ベンチの端から現れたり隠れたりの癖は、広島の栄華と横浜の荒波、人生を月の満ち欠けと例えたその体現だったのでしょうか…。“耐えて勝つ”野球も“勝つまで耐える”野球もまた素晴らしき人生の縮図。今年もまた、耐えて咲く花に出合えますように!
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