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タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(15)
三原幸子◆「津久井湖慕情」

住民の思い乗せたはかない旋律
「また始まったよ!」小学2年の時でしたか、父自慢の家具調のステレオコンポ(義兄の遺品)から大音響で流れくる物悲しいイントロに、兄弟3人大げさにずっこけてはきゃっきゃと笑っていた日曜日の昼下がりが思い出されます。わが家の窓から真下に広がる、深緑色に押し黙る水面を儚(はかな)げに透かした旋律。「津久井湖慕情」(1983年・昭和58年)に、父はやっと建てたマイホームの恍惚(こうこつ)と不安を見ていたのかもしれません。
不安…それは気の遠くなるようなローンと「本当に駅は来るのか?」という猜疑心(さいぎしん)。そう、この一帯は、近く鉄路が確約の上、分譲されていたのですが、待てど暮らせど響かぬ車輪。列車の路線図に破線で伸びていた未来の駅も、ある日しれっと消えていたのを見たのは間もなくだったでしょうか。♪枯れてしまった花びらを 涙とともに 津久井湖の宿に… くしくもノンフィクション歌謡となりました。

この歌を作曲したのはご近所の高城畳店のご主人。東芝レコードですが、これは委託システムによるもので、つまり自主制作盤。「3000枚作りまして、何とか全部売ってね、それでトントンでしたよ~」と電話口で屈託なく笑うご主人の声が、このペンを心地よく促してくださいました。
セミプロの作詞家の方を車に乗せ津久井湖を周遊しながら着想、編曲は「北の宿から」(75年・同50年、歌/都はるみ)「さざんかの宿」(82年・同57年、歌/大川栄策)も手がけた竹村次郎さんですから、“お宿演歌”として併聴しても何ら遜色ない叙情を醸しています。

そして湖畔の“さにわ”となった三原幸子さん。ぼくは当時、八王子の「一平ラーメン」にこの方のポスターが張られていたのを妙に覚えているのですが、聞けばこの方、八王子にあった元プロボクサーの海老原博幸さんの経営するスナックの従業員をされていた方だったとか。

海老原さんといえば、たまたま面接に行ったとんかつ屋の店主に一目見て唐突にスカウトされるや、二人三脚で世界チャンピオンに上り詰めたという伝説の変わり種(ちなみに店主は後の金平ジム会長)。この逸話が「あしたのジョー」の基盤となったと言われますが、海老原さんは自分が背負ったジョーとしての宿命を、また交通事故で亡くしたという娘の魂を、一人の歌姫に燃やしたのでしょうか? レコードを売り切って間もなくの頃、海老原さんは51歳で早世されました。
みんなで力を合わせてお祭り騒ぎのキャンペーン。我が父母の夫婦げんかも今は昔、お祭り騒ぎのように回想されます。ローンを完済し、森と湖に囲まれて、小競り合いしながらも仲良く、アナグマ夫婦のように暮らしているとさ。パチパチパチ。
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