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フランク永井◆真白き富士の嶺

1962(昭和37)年 作詞/三角錫子・作曲/ジェレマイア・インガルス
1962(昭和37)年 作詞/三角錫子・作曲/ジェレマイア・インガルス

少年たちの魂に心寄せる

 江ノ電が好きで、時折揺られに行くのですが、お天気の良い日には、ちょうど七里ケ浜あたりの車窓から富士山が望めることも。そんな時、ふと口の端にかすめるのが「真白き富士の嶺(ね)」。原題は「七里ケ浜の哀歌」と知っての戯れ歌だったのですが、“ボートは沈みぬ…”といった詞には何か深いドラマがあるのではと感じていました。その由来を知るにつれて、次に江ノ電に乗るときには、車窓から海に黙とうして、唇に花をたむけなくてはと思った次第です。

 1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学生徒11人、小学生1人を乗せたボート「箱根号」が転覆。27日までに全員の死亡が確認されました。そして2月6日には逗子開成中の校庭にて大追悼会が執り行われ、そこで合唱されたのが、この歌だったのです。作詞をしたのが、系列校である鎌倉女学校の教師であった三角錫子(みすみすずこ)さん。直接の教え子でなかったとはいえ、同じ海を心に、深い悲しみがペンをとらせたのでしょう。


稲村ケ崎に立つ、ボート遭難の碑と七里ケ浜海岸(2019年、鎌倉市)
稲村ケ崎に立つ、ボート遭難の碑と七里ケ浜海岸(2019年、鎌倉市)

 曲に関しては、謎が多いようなのですが、1805年に出された白人霊歌集「クリスチャン・ハーモニー」が初出、そこに記された作者は、アメリカ人のジェレマイア・インガルスさんという方。しかし、もとはイギリス民謡ともいわれ、賛美歌として紹介されたことも。日本では1890(明治23)年「明治唱歌」において「夢の外(ほか)」として採用され、三角さんはこれを“替え歌”に鎮魂歌としました。例えば原曲の3番“うれしさ余りて寝られぬ枕に”を“悲しさ余りて寝られぬ枕に”というふうに。

 この一節だけでも痛切さが滲(にじ)みますが、さらに調べると、この歌の深淵(しんえん)には意外にも“巷(ちまた)の流行歌”的側面も。

 この亡くなった生徒たちは、闇鍋にする食材確保のため、ボートを無断で持ち出し、海に鳥撃ちに出かけた事故だったとか。さらにこれらを小説「七里ケ浜」として書いた宮内寒弥(かんや)さんの父は、当時逗子開成中のボート部部長でもある教諭で、三角さんとは婚約者という間柄だったといいます。この事故で引責辞任、縁談もはかなく破れ、贖罪(しょくざい)として四国巡礼へ…。


絵/タブレット純
絵/タブレット純

 諸説ありますが、やがて教科書よりも演歌師によって巷に流布されたことを鑑みても、この歌は艶っぽい、夜の歌い手にもハマります。実はぼくも、最初は水原弘さんの歌声がそのなれ初めでした。子どもの頃、父が車の中でよくかけていた、カセットテープの1曲として。こよいは、素人時代、互いに“ジャズのど自慢荒らし”として鳴らした、いわば“不良仲間”のフランク盤を棚から掘り出しました。やっぱり、この曲は清廉な唱歌であり、どこかムード歌謡でもあるのです…。

 とはいえ、旋律の美しさも普遍的。先のインガルスさんの遠戚が、「大草原の小さな家」の作者であるのがなんだか納得させられると共に、“不良”のレッテルを貼られてしまった少年たちを、あえて無邪気な、真白き魂たちと称したい。酷暑ながら残雪を胸に、また江ノ電に揺られに行きたいと思います。


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