気になる
横浜美術館 アート彩時記(13)
岸田劉生「椿君之肖像」 不自然な右脇の位置

この作品のモデルは椿貞雄。郷里の山形県米沢市で絵を描いていましたが、芸術への情熱冷めやらず、1914(大正3)年、東京に出ました。そこで翌年に出会ったのが岸田劉生(きしだりゅうせい)(1891~1929年)です。神秘的なほほ笑みを浮かべたおかっぱ頭の少女を描く「麗子像」(21年、東京国立博物館蔵、重要文化財)で知られる、あの画家です。時に劉生24歳、椿19歳。この後椿は38歳で劉生が亡くなるまで、同じ画家として、また忠実な友人として、ずっと劉生のそばにい続けることになります。
ところで、この作品のわずか3年ほど前、劉生の画風はまったく異なっていました。筆に絵の具をたっぷりつけて、細部にかまわずぐいぐい描く。影の部分に青や紫、明るい部分に黄やオレンジを用い、画面を華やかに彩る。モデルの瞬間の表情を大づかみに捉えるべく、仕上げはスピード勝負。劉生はこの頃、複製図版を通して知ったゴッホに熱中していたのです。
しかし、「椿君之肖像(つばきくんのしょうぞう)」のころになると画風が一変します。この作品でも、全体は茶の色調でまとめられ、モデルの眉毛やしわ、ほくろ、額や鼻の頭に浮かべた脂までが細かな筆遣いでじっくりと描かれています。お気に入りの画家も、ゴッホから、15~16世紀の北方ルネサンスの画家たち、デューラーやファン・エイクに変わりました。
仕上げに時間がかかるため、以前のような瞬間の表情ではなく、何日にもわたる制作の間に観察したモデルのさまざまな表情を混ぜ合わせ、そこから大事なものだけを抽出したような、静かな顔が捉えられています。

けれどこの作品、一つ気になるところがあります。顔も衣服も、背景の布もこんなに注意深く写し取られているのに、右の脇の下の位置が不自然なのです。向かって右にだいぶ寄っていますし、これでは腕も上半身もかなり小さくなります。
実は劉生は他の作品でも、「詳細に描きこまれた細部」と「少し形の崩れたデッサン(大き過ぎる頭や横に広過ぎる顔、小さ過ぎる上半身など)」を意図的に組み合わせています。なぜこんなことをするのでしょう。
そこにその人が存在しそうなほど細部はリアル。なのに、現実の人間とはズレたところがある。二つの間のギャップから、見る者の「この人は本当にここにいるのかな。それとも単なる絵なのかな」という感覚の揺らぎを引き出す。これこそ劉生が何とか描き表そうとしていた不思議な視覚的効果なのではないかと、私は想像します。(横浜美術館館長・蔵屋 美香、イラストも)
学芸員みちくさ話

劉生はその短い生涯の間に3回大きく画風を変えました。ここにご紹介したゴッホ風と北方ルネサンス風、そして晩年の日本や中国の古画風です(写真、この作品は晩年に暮らした鎌倉で描かれました)。
芸術家なのに他人のまねをするなんて、と思われるかもしれませんが、劉生は好きになったらまっしぐら。模倣の中からこそ自分の進む道を探し出します。
おまけにその画風の三つともが同時代の画家たちに大きな影響を与えました。いわば「元祖マイブーマー」ですね。(蔵屋)
2023年1月10日公開 | 2023年1月8日神奈川新聞掲載
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