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タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(26)
石川セリ◆八月の濡れた砂

湘南の群像劇 縁取る旋律
ラジオでご一緒している大竹まことさんに、「何かオススメの映画などありますでしょうか?」と尋ねてみたところ、喫煙所にてけむりさながらに吐かれた言の葉が「八月の濡(ぬ)れた砂」(1972年・昭和47年)でした。
さっそくレンタル屋で見つけたそれを部屋で再生するや、白茶けた6畳一間をたちまち“悲しみの日焼け跡”に。気だるく退廃的なのに、心の中で氷がマドラーに美しくかき回されているような余韻は、その象徴的な主題歌もあってのことかと。以来自分の中で、永遠の終末のボレロとなりました。
北風ぴゅうぴゅうな1月にしてなぜ8月? なのですが、“いちかばちか”の選曲ということで、何とぞご容赦ください~。そしてもちろんわれらが神奈川の風土も、この映画ならびに楽曲にはたなびいてまいります。
まず映画のロケ地が、逗子、葉山、茅ケ崎…1960年代には明朗快活な若大将たちが謳歌(おうか)する湘南も、70年代の“シラケ世代”には、無軌道な茫漠(ぼうばく)に。映画はあまり詳しくないので論じられないのですが、前者が東宝、こちらは日活なので、「太陽の季節」の流れをくむ社風の違いもあるのでしょうか?

とはいえこの作品に石原裕次郎さんのような確たる主役が見当たらなかったのは、くしくも撮影中の事故に起因します。バイクで転倒するシーンで、主演の沖雅也さんが骨折し降板したことで、この映画は図らずも“ノースター”の群像劇となり、乾いたリアリズムを深めました。さらには日活がロマンポルノに舵(かじ)を切る前の、最後の一般作品に。映画そのものもまた斜陽の波打ち際に、打ち捨てられたかのように刻まれたのです。
そして作品を縁取る楽曲の、フィルムにそっと砂時計を与えたような歌姫にも、神奈川の水脈が。石川セリさんは、ぼくと同じ相模原市のご出身! この度知ってうれしく思ったのですが、それにしても、エキゾチックなお顔立ち。その声にも、どこか日本人離れしたアロマを感じます。調べてみると、お父様がアメリカ人ということで納得したのですが、付随して奇跡のエピソードにも触れることができました。
米軍施設で働いていたタイピストと駐留軍人との恋の果てに、自分が生まれたことを知ったのは思春期の頃だったというセリさん。母と自分を捨てアメリカに帰ってしまったという父のことを意識から追いやるように生きてきたといいます。しかし50を過ぎた頃に突如大病を発症し死線をさまよう中、命を吹き込んでくれたのは、夢に現れた異国の男性の、聖なるまなざしと叫びでした。「頑張れ! セリ!」。

それから数年後、意を決して旅立ったアメリカで、父が母国で築いた家を探し出すことができ、そこに暮らしていた異母妹たちからこう聞かされるのです。「父はかねがね言っていました。この左腕に彫ったのは、日本に残してきてしまった娘の名。いつか会う時が来たら、必ず一緒に会ってくれるね、と」。残念ながら、お父様は亡くなられていたのですが、なんとその泉下に旅立った日時が、セリさんが生死をさまよったのとまさに同じ頃合いだったのです! うるうる。
銀幕の続編のように、こんなすてきなエンディングをも授けてくれるわが相模原、さすがです。砂をかむよに生きているぼくにいつも息吹を与えてくれる歌謡曲のパノラマ絵巻、今年も沼袋から故郷の皆さまへ、少しでも銀の砂を紙面に吹かせられますように…。
次回は2月19日、1974(同49)年に発表された山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」です。
2023年1月22日公開 | 2023年1月22日神奈川新聞掲載
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