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永井紗耶子さんに聞く 直木賞作家、創作の根底にある思い

時代小説の分野で人間の心の機微を見つめる作品を生み出し続けている。「落語や講談が好きでも、歴史・時代小説を敬遠している人は多い。今回の作品では江戸っ子たちが目の前でおしゃべりしてくれているような形にすることで、そんな人たちにも楽しんでもらえたのではないかと思います」。そう語る表情は、子ども時代から親しんできたその文学や、伝統芸能への愛情に満ちていた。
7月、「木挽町(こびきちょう)のあだ討ち」で第169回直木賞を受賞。記者会見では「恐悦至極という感じ」と戸惑いつつも「読者に応援してもらい、ここまでたどり着けてほっとしている」と笑顔を見せた。
物語の舞台は江戸時代後期の木挽町(現在の歌舞伎座周辺)。父親を殺した下男を追って江戸にやってきた武家の子息・菊之助が冬の夜にあだ討ちを成し遂げた。2年後、その出来事について調べようとする若い侍が木挽町を訪れる。彼が話を聞くのは芝居の衣装係や戯作者たち。「悪所」と呼ばれる芝居小屋周辺で生きる住人は皆、吉原で働く母親から虐待を受けたり、幼い子を亡くしたりするなど、拭いがたい心の傷を抱えていた。

創作の根底には「ただ別時代の物語を楽しむのではなく、今の時代を考えるためのヒントが見つかればいい」という思いがある。「江戸時代後期は経済成長が止まり、停滞感とけだるい華やかさが漂っていた点で今と似ている。経済・教育格差に苦しむ人がいるのも、昔の身分制度に通じる部分がありますよね」
やがて侍は、思いも寄らぬあだ討ちの真相にたどり着く。「既存の作品に描かれてきた、社会制度としてのあだ討ちに違和感があった」と明かす。「強い者に歯向かうストーリーには胸がすくような思いもあるが、忠義・孝行は本来、心のうちからわきあがるもの。『ブラック企業』や『毒親』に尽くすことで心が壊れてしまう人がいるように、強制されるべきものではないと思うんです」
臨場感あふれる登場人物たちの語りには、新聞記者やライターとして仕事をしてきた経験が生かされた。「いつも、取材対象者が入ってきた時の空気感を大切にしていた。これまでの経験で無駄なことは何もなかったんだなと思います」

ながい・さやこ
作家。1977年横浜市出身、在住。新聞記者を経て、フリーランスライターとして活動。2010年「絡繰り心中」で小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。「商う狼 江戸商人 杉本茂十郎」で細谷正充賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞を受賞。22年「女人入眼」が第167回直木賞候補。「木挽町のあだ討ち」は山本周五郎賞も受賞した。「大奥づとめ よろずおつとめ申し候」「福を届けよ 日本橋紙問屋商い心得」など著書多数。
記者の一言
地元・横浜への愛着は特別。原三渓を描いた「横濱王」では「関東大震災と戦争の間の、キラキラした異国情緒がある」横浜を描写した。「その頃の横浜を見てみたかった。当時の建物が残る町並みがとても気に入っています」。仕事の合間を縫って横浜能楽堂や横浜にぎわい座にも足を運ぶという。「推し」の落語家は五街道雲助師匠。「落語の世界はどんな人間にも優しい。自分も、抜けたところのある与太郎でいいやと思えるんです」という言葉に深く共感してしまった。「人生はきれいに割り切れるようなものではない。実用書では答えが見つからないとき、ルールが違うフィクションの世界に身を置いてみると自分を受け入れられたりしますよね」との言葉を胸に、今後も落語の推し活に励みたい。
2023年8月16日公開 | 2023年8月13日神奈川新聞掲載
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