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美川憲一◆「さそり座の女」

優美なホテルと毒の達人
「ブルー・ライト・ヨコハマ」の“街の灯(あか)り”と「よこはま・たそがれ」の“ホテルの小部屋”は同じ建造物の外装と内装から着想されている、いわば姉妹作。“シェルルーム”の青いネオンサインがトレードマークだった「バンドホテル」がそのモデルです。海岸通りは山下橋の近くに、70年の長きにわたり存在したのですが、首都高建設でその絶景が失われるなどして、やがて20世紀に添い遂げるように、ひっそりと灯を消しました。
今回取り上げる「さそり座の女」(1972年・昭和47年)は、先の姉妹作を、ぼくの中で三姉妹としたい楽曲ながら、いわば母親の異なる姉妹のような、異端の末娘? 場所を舞台にしたよりも血の濃い楽曲といいますか、バンドホテル社長夫人である斎藤律子さんのペンによって直々に紡がれた作品だからです。そこにどんな経緯があったのかひもといてゆくと、作品さながらの毒々しい危絵(あぶなえ)が秘められていました。
ホテルの社長から、交遊があった作曲家・中川博之さんへ、「妻が趣味で詞を書きためてるようなんだが、ちょっと見てやってくれないか」と何げなく差し出された1冊のノート。その中にあった一編に、中川さんはすぐさま曲想が湧き立ちました。いいえ私は、さそり座の女…旋律は一種の“戦慄(せんりつ)”だったのかもしれません。

プロには書き得ないような生々しい肉声は、あたかも“地獄のはてまで”絞り上げられるようにして、詞と曲が一体となり完遂。そのスキャンダラスな内情がどのように明かされたのか、経緯はわからないのですが、この詞はなんと、社長の愛人の心情を、妻が代弁する形で書かれたのだそう。“さそりの毒はあとで効くのよ”とあるように、妻がこっそり含めた毒に、夫は後からもん絶したのでしょうか? だとしたら怖いけど、ちょっと痛快でもあります。
とはいえ、バンドホテルそのものには、そんな歌の内容とはかけ離れた、実に平和的、友好的なエピソードが伝えられています。
第2次世界大戦のさなか、殺伐とした世の中にあって、米国から欧州に渡る外国人旅行者をあっせんしたり、はたまた敵国同士の宿泊客を握手させたり。…あ、これって。妻とその愛人も、いわば敵国同士。海に面した絶景ゆえの一族の“海容さ”が、むしろ争いを回避させていたとか? もともとは「高価なワインをさぁどうぞ」だった詞も、あまりに過激過ぎるということで「紅茶がさめるわ」にすんなり差し替え。きっと細やかな優しさや、温かな紅茶が似合う、優雅なアロマがあふれるホテルだったことでしょう。

菅原洋一さんや、何と美空ひばりさんも歌唱候補だったというこの曲を、中川さんに直訴して持ち歌にしたという美川憲一さんは、やはり自分の肌に合う毒をこの曲に感じたのかと。B面候補もひっくり返って表沙汰になった上に、星座を名乗りたくない女性が続出するというほどの毒を世間にもまき散らしました。
ちなみに美川さんは「おうし座」。一見さそりとは遠く思えますが、穏やかな牛歩のおしゃべりのさなか、その尻尾はピシャッと社会の害虫をしとめているところなど、やはり痛快な毒の達人といえましょう!
2023年5月15日公開 | 2023年5月14日神奈川新聞掲載
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